「あなたへのダイアリー」 (第二章 きみ寿司)-4-
貴美子は相変わらず学校へは行かなかったが、写真館の店主に亮介の写真をもらって以来、ひとりで英徳高校の野球部の試合を見に行くようになっていた。野球部の試合にはいつも、商店街の野球好きのおやじたちと、応援団の生徒が数人来ていた。試合によっては、英徳高校の教師も交代で来ることがあった。
貴美子はその一団から十分に距離を取って、見つからないように帽子と伊達眼鏡で変装して見学していた。帽子は、先日写真館の店主にもらったジャイアンツのマークの入った野球帽だった。知らない人が見れば、ただの野球好きの女の子に見えただろうが、ひとり疑いのまなざしで貴美子を見つめる男がいた。
「やっぱり……。あいつ、牧村じゃないか」
亮介と貴美子の担任の山下である。山下は、変装した貴美子をここ数回見かけていた。
「牧村のやつ、野球に興味があるのか…。しかも、ジャイアンツファンだったとは意外だな。まぁ、学校には来なくても、こうして、うちの野球部の試合を見に来ているってことは、一歩前進だな」
山下は、貴美子を無理に登校させようとは思わなかった。確かに、担任としては、何としても学校に来させる義務があるかも知れないが、貴美子自身が学校に行きたいと思わなければ、意味がないと考えていた。
試合は、英徳高校が三点リードして迎えた六回の裏、相手高校の猛打が爆発し、英徳高校はノーアウト満塁のピンチに陥っていた。英徳高校の監督はそれまで温存しておいた亮介を登板させることにした。
「ピッチャー交代! ピッチャー中谷!」
亮介がマウンドに上がると応援席が一気に盛り上がった。とりわけ、例の写真館の店主は、貴美子が見に来ていることにも気付かず夢中で亮介を応援していた。
「頼んだぞ。亮介!」
「このピンチを切り抜けられるのは、お前しかいないぞ!」
応援席からは次々と声援が沸き起こった。
「おっ、亮介が投げるのか。今日は見に来てよかったな」
山下は、自分の教え子がこれほどまでに周りから期待されていることを誇らしげに思いながら、グランドに目をやった。
亮介は、守りに助けられた部分もあったが、皆の期待通り、その回のピンチを乗り切って見せた。
「やっぱり、野球やっているときのあいつは別人だな」
山下がそうつぶやいて貴美子の方を見ると、貴美子は誰にも気づかれないように、自分の胸の前で控えめに小さく拍手をしていた。そして、その姿を見ていた山下は、貴美子の亮介を見つめるまなざしに熱いものを感じた。
「ほう、なるほど。そうか、興味があるのはそっちだったか」
そう言いながら、何か企んでいるような山下の視線に、こちらを見た貴美子が気付いたようだった。貴美子は拍手していた手を止め、帽子を深々とかぶり直して、山下の視線を遮るように人影に隠れてしまった。
「牧村、お前はひとりじゃない。俺は、お前のために少しだけおせっかいを焼いてやる」
山下はそうつぶやいて、試合もそこそこにグランドを後にした。山下が、貴美子に渡す書類をわざわざ亮介に持って行かせることにしたのは、恐らくこの時、山下が思いついた、亮介と貴美子を会わせるためのアイディアだったのだろう。(つづく)
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