「あなたへのダイアリー」 (第二章 きみ寿司)-8-

 亮介は、勉強はいまひとつだったが、ピッチャーとしては優秀だった。こんな田舎町の高校の野球部でも、今年は甲子園も夢じゃないと地元は大いに盛り上がっていた。それに、亮介は普段は締まりのない顔をしているが、こと野球になると貴美子が惹かれたようにとても凛々しい顔つきになる。

 地区予選で亮介の高校は順調に勝ち進み、野球部創部以来初のベスト8まで勝ち進んだ。それは亮介の活躍によるところが大きかったが、その亮介にいつも以上の力を発揮させていたのは他ならぬ貴美子だった。亮介は、誰かにこんなにも想われるということがこれまでなかった。だらしのない父親のせいで、亮介は家庭環境にあまり恵まれていなかった。亮介自身、父親のことも母親のことも好きであったが、どちらの味方もできず、結局はいつも一人でいることしか出来なかった。

 そんな亮介は、これまで自分のためだけに野球を続けてきたが、今は違う。自分のことを好きだと言ってくれている貴美子のために、貴美子の喜ぶ姿を見るために勝ち続けたいと思っている。

 試合が終わって帰り道、亮介と貴美子は、いつも学校帰りに寄るフクベェに会いに行った。フクベェは、商店街のマスコットで少し間抜けな顔をしたフクロウのオブジェである。本当は、福助という立派な名前があるのだが、

「この子の名前、福助よりフクベェの方がこの顔に合っていてかわいいわよねぇ」

 そう言って、貴美子はそのフクロウのことを福助ではなく、フクベェと呼んでいた。亮介も貴美子に習っていつしかフクベェと呼ぶようになっていた。

「亮ちゃん、今日、試合に勝ったお祝いにこれをフクベェにあげようと思うの」

 そう言って貴美子は、カバンからピーナツの入った小さな袋を取り出した。

「それ、どうしたの?」

「お婆さんのところで買ったの。一袋五円よ。安いでしょ」

 お婆さんのところとは、大田原商店のことである。貴美子は学校を休んでいた時、どこで知ったのか、この大田原商店に時々行っていたようである。太田原商店は商店などと呼べるほど立派な店ではなく、当時、子供たちからキン婆と呼ばれていた気難しい婆さんが一人で商いをしていた、子供相手のいわゆる駄菓子屋である。ちなみに、なぜキン婆なのかというと、金歯をはめた婆さんだからキン婆なのである。

 その気難しいキン婆がなぜか貴美子のことを気に入り、母親のいなかった貴美子もまた、父親に言えないような相談ごとをキン婆に時々話していたらしい。

「あげるって、フクベェは食べないよ」

「そう? でもほら、食べたそうな顔しているじゃない」

 フクベェは、その名前の通りとても愛嬌のある顔をしていた。おまけにフクベェの口元は塗装のシミなのか、見ようによっては少しヨダレを垂らしているかのように見えるのだった。

「確かにね」

 貴美子と亮介はお互いの顔を見合わせて笑った。貴美子は、フクベェの左の足元にピーナツを三つ並べて置いた。

「三つだけ?」

 亮介が尋ねると貴美子は、

「そうよ。三つだけ。食べ過ぎは健康に良くないわ」

 貴美子は残りのピーナツが入った袋を折り畳んで、カバンにしまい込んだ。

「ケチだなぁ」

 亮介が何気なくつぶやいたその言葉に、珍しく貴美子がムキになって言い返してきた。

「ケチじゃないもん! フクベェの健康を考えてあげているんだもの」

 学校を休んでいたあの頃の貴美子に比べて、今の貴美子は何事に対しても真剣だ。

「あっ、ゴメン、ゴメン。そうだよね。こいつ、ただでさえこんなに太っているもんね。貴美ちゃんは、フクベェのことをよく考えているよね。うん、感心、感心」

 貴美子を本来の元気で明るい女子高生に生まれ変わらせた責任を取り、亮介は子供をなだめるようにやさしく言ったつもりだったが、

「本当にそう思っている?」

 子ども扱いされ、貴美子はそれが返って馬鹿にされたような気がして、亮介をじろりと睨んだ。

「ホント、ホント」

 自分の胸の前で両方の掌を広げ、亮介は貴美子に全面降伏した。

「そう、じゃ許してあげる。でもその代わり、次はこれ亮ちゃんが買って来てね」

「えー、俺が?」

「えーって、ケチね。一袋たった五円よ」

「いや、そういうことじゃなくて……」

 もちろん、亮介は五円が惜しかったわけではなかった。大田原商店のキン婆のことが亮介は苦手だった。態度や言葉使いにやたら厳しく、おまけに声がでかいものだから、店にやって来た小学生くらいの子供なんかは、良く泣かされて家に帰って行ったものだった。それでも、泣かされた子供の親は、後で子供と一緒にキン婆に謝りにきた。当時は、悪いことを悪いと教えてくれる大人がいて、それを悪いと認める大人がいた。そういう大人たちの背中を見て、子供は自分が悪かったのだということを理解した。今では考え難いことだが、亮介と貴美子が過ごした青春時代は、そんなことが当たり前のこととしてできた古き良き時代だった。

「そのピーナツじゃなきゃダメなの?」

「そう。これじゃなきゃダメよ」

 貴美子は、亮介がキン婆ことを苦手に思っていることを知っていた。しかし、自分が好きなキン婆を亮介にも好きになってもらいたいとも思っていた。

「じゃあ、お願いね」

 そう言って貴美子はとっとと歩き出した。

「ち、ちょっと待ってよ。貴美ちゃん! 待ってってば」

「いやよ」

 貴美子は振り向かずにそう言うと、亮介の困った顔を想像して微笑んだ。(つづく

 

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