「あなたへのダイアリー」 (第二章 きみ寿司)-6-

 次の日、英徳高校の三年一組の教室ではちょっとした事件が起きていた。貴美子が突然学校にやって来たのである。三年一組の男子生徒はもちろん、他のクラスの生徒まで貴美子を見にやってきて騒ぎになっていた。

「牧村のやつ、いったいどうしたんだ? 突然学校に来たりして」

「さぁ? でも、やっぱり噂通りかわいいな」

「おい、誰か、声かけてみろよ」

 貴美子を遠巻きに見て男たちが騒いでいると、クラスメイトの安藤みゆきが貴美子に声をかけてきた。

「久しぶりじゃない? もう、とっくに学校をやめたのかと思っていたわ」

 安藤はいわゆる不良グループの一員で、自分より目立つ存在である貴美子のことを以前から目障りに思っており、貴美子が転校して来て早々に貴美子に対して嫌がらせをしていたのだった。おまけに、安藤は自分が思いを寄せているやはり同じ不良グループのリーダーの友部和之が貴美子に入れ込み、自分の方を向いてくれないことが許せなかった。貴美子は当然、友部のことなど何とも思っておらず、貴美子にしてみれば迷惑以外の何物でもなかったが、安藤の嫌がらせは周りの女子生徒も取り込み、日に日にエスカレートしていった。

 貴美子は決していじめられて泣き寝入りするような弱い生徒ではなかったが、そうした煩わしさには耐えられなかった。半年前、高校二年の秋、転校してきたばかりでクラスに友達もいなかった貴美子は、この学校に対して何の未練もなかった。だから、学校へ行かないことを決めた時も特に何も思うことはなかった。とにかく、早く高校を卒業したいとだけ考えていた。

「さすが、ミス英徳。学校を休んでいたかと思えば突然登校してきてわがままし放題ね」

「あなたの席など、とうの昔に無くなっているわ」

「さっさと帰りなさいよ」

 安藤の手下の女たちが次々と貴美子に向かって暴言を吐いた。貴美子はそれを終始、黙って聞いていた。以前の貴美子ならこの煩わしい人間関係から一刻も早く逃れるため、そのまま帰ってしまったに違いない。でも、貴美子がそうしなかったのは、亮介の言った言葉を信じたからだった。亮介に学校に来たことを見てもらうまでは、何としても彼女たちの仕打ちに耐えようと心に決めていた。

「お高くとまっていないで何か言いなさいよ! それとも、なに? 私たちとは口も利きたくないわけ!」

 貴美子が黙っていることで逆に安藤たちは自分たちを馬鹿にしていると思い、さらに怒りを増していった。まわりの生徒たちは、貴美子を助けたいと思ったが、安藤たちのバックには友部がいるため、だれも何も言えなかった。

「何とか言いなさいよ!」

 安藤がそう怒鳴って自分のカバンを貴美子の机に叩きつけた。

 そこへ、貴美子が学校に来たことを聞きつけた友部が教室にやってきた。

「よう、牧村、ひさしぶりだな! 俺のこと覚えていてくれたか。やっと、俺の女になることを決心してくれたか! はっはっはぁ」

 友部は何でも自分の思い通りになると、思い上がった考えを持っている男である。当然、貴美子もはじめは嫌がっていても、その内自分を好きになると思い込んでいる。安藤が貴美子をさっきからずっと睨みつけている。亮介は、まだ野球部の朝練で教室に戻ってこない。貴美子はもう限界だった。

「友部くん、何か勘違いしているようだけど、私には好きな人がいるの。私の片思いだけど、私はその人のことがとても好きなの。だから、友部くんのことを好きになることは決してないわ」

 貴美子は最後の一言は安藤に向けて言った。友部は自分としては予想外の貴美子の発言に言葉を失っていた。安藤は貴美子が自分のライバルではないことに安心感を持ったが、同時に自分の好きな友部がみんなの前で恥をかかされたことに怒りを覚えた。

「な、なんですって! じゃあ、だ、誰なのよ、その好きな人って?」

 周りの生徒たちも貴美子に一斉に注目した。貴美子は少しためらったが、思い切って告白しようと思った。それは、貴美子にとってこの場を逃れるためでも、安藤や友部たちとの関係を終わらせるためでもなかった。自分の正直な気持ちを打ち明けることで、安藤にも友部に対して素直になってほしいと思ったからだ。誰かに嫉妬するのではなく、自分に正直に生きて欲しかったのだった。

「わたし……。ナカ・・タ・・」

 勇気を出してそこまで言ったが、貴美子は黙ってしまった。決心して告白しようとしたが、そこはまだ、貴美子も十七歳の乙女である。いざ、言葉にするとなると、みんなの前ではやはり恥ずかしかった。自分でも顔が赤くなっていることがわかった。

「今、なんて言った?」

「よく聞こえなかったが、ナカタ何とかって言ったような……」

「いったい誰なんだ? その幸せな奴は?」

「この学校の奴なのか?」

「さあ、けど、うらやましいなぁ」

 男たちが口々にそう騒いで詮索していると、そこへ朝練を終えた亮介が教室に入ってきた。

「あれ? どうしたの?」

 教室の入り口にいた同級生に亮介がそう尋ねると、周りにいた生徒たちが一斉に亮介の方を向いた。

「な、なに?」

 亮介は何があったのかと教室の中を覗くと、貴美子が安藤たちに取り囲まれている姿を見つけた。

「あっ、牧村さん!」

 亮介は、貴美子が学校に来てくれたことがうれしくて思わずそう叫んだ。

「中谷くん!」

 貴美子も、亮介に助けを求めるかのようにそれに応えた。

「よかった。来てくれたんだね」

 亮介と貴美子の会話を聞いていた生徒たちは、なぜ二人は知り合いで、しかもお互いに名前を呼びあうような間柄なのか?貴美子の言った、『ナカタ……』というのはもしかしたら、『中谷亮介』のことではないのか? 口々にそう言って騒いでいる。亮介は貴美子に何があったのかは分からなかったが、貴美子が安藤たちに取り囲まれている状況とそこに隣のクラスの友部が来ていることで、この不良グループの連中が貴美子が学校に来なくなったことと何か関係があると思った。

「友部、何があった?」

 亮介は、貴美子に恥をかかされたまま呆然と突っ立っている友部に向かってそう言った。

「いや、何でもない」

 友部は亮介の方は向かず、貴美子を見たままそう言うと、

「さっき言いかけたのは、こいつのことか?」

 そう貴美子に尋ねた。貴美子は無言のまま友部を見つめ、友部にだけわかるように目でうなずいた。

「そうか、邪魔したな」

 友部はそう言って教室を出て行ってしまった。それを見た他のクラスの生徒たちも、次々に自分のクラスに戻っていった。

 “キーンコーン、カーンコーン”

 そして、先ほどの騒ぎを知ってか知らずか、始業を知らせるチャイムとともにクラス担任の山下が上機嫌で教室にやってきた。

「よーし、みんな席につけ!」

 山下はいつものように教室をぐるりと見渡すと、そこに登校してきた貴美子の姿を見つけ、その貴美子に向かって少し恩着せがましく言った。

「これで、全員揃ったわけだな」

 貴美子はそのおせっかいで恩着せがましい担任に、微笑みながら小さく頭を下げた。(つづく

 

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