「あなたへのダイアリー」 (第二章 きみ寿司)-7-

 ところで、他の生徒とは違って亮介は友部に対して対等だった。いや、どちらかと言うと友部の方が亮介に対して一目置いていたようだ。それには、こんなわけがあった。

 友部には和也という五つ上の兄貴がいた。その和也が昔、亮介がまだ小学生だった頃、亮介に大けがをさせられていたのだった。原因は、和也が公園にいた子犬をいじめていて、それを亮介が助けようとして喧嘩になり、当時中学生の和也は、小学生の亮介に気絶するほどぼこぼこに殴られてしまった。幸い命に別状はなかったが、その時の傷が今でも和也の顔に残っている。友部は、当然その話を和也から聞いて知っていたので、他の生徒に対しては威張っていても、亮介に対しては何も言えなかった。

 もちろん、亮介もそのことは覚えていたが、だからといって友部に対して特別な思いは何もなかった。他の生徒と同じように接していた。ただ、友部が何か行き過ぎたようなことをした時は、“その時はいつでも相手になってやる“そんな空気は漂わせていた。

 その後、友部が安藤に何か言ったのか、安藤自身が貴美子を認めたのかは分からないが、貴美子への嫌がらせは一切無くなった。安藤を恐れて貴美子を避けていた女子生徒たちも、貴美子の人柄もあり徐々に打ち解けていった。今では、好きなアイドル歌手の話で盛り上がったりすることができる何人かの友達もできた。部活動も始めた。前の高校で吹奏楽部に入っていた貴美子は、この学校でも同じ吹奏楽部に入った。貴美子は少し遠回りして時間を無駄にしたが、今はその時間を取り戻すかのように充実した毎日を送っていた。

 そして、貴美子が自分の好きな人の名前をみんなの前で告白しようしたあの日以来、生徒たちの間ではいつの間にか、 “貴美子が思いを寄せる相手は亮介である“ ということになっていた。貴美子はそのことを知っていたが、本当のことだし今さら否定するつもりはなかった。だから、学校から帰る時も、吹奏楽部の練習が終わった後、亮介の練習が終わるのを待って一緒に帰ることにしていた。

 しかし、そんな貴美子の一途な思いとは別に、亮介は美人で頭もよく優しい貴美子と自分とでは、とてもじゃないが釣り合わないと思っていた。それに貴美子には、本当の彼氏がいることを亮介は知っていた。貴美子の部屋で見たあの写真のピッチャーが貴美子の本当の彼氏であることを。今はただ、貴美子と一緒に家まで帰るそれだけで良かった。

 貴美子はよくその学校からの帰り道、亮介に野球について教えてもらった。そのおかげで、あの野球好きの写真館の店主に呼び止められても、あれこれ断る理由を探す必要がなくなった。野球のことがわかると店主の話が意外と面白いことに気が付いたのだった。今では、亮介のことを知るきっかけを作ってくれたお礼の意味も込めて、ときどきは店主の話に付き合ってやることにしている。

 六月、野球の地区予選が始まったある日、貴美子が試合を見に行きたいと言い出した。それまでも貴美子は、亮介の試合をひとりで見に行っていたが、今回は亮介に自分の存在を知ってもらった上で本当の意味での応援に行きたいと思った。

 亮介はそんな貴美子の申し出をうれしく思ったが、どうしてもあの写真の彼氏のことが気になったので、思い切って貴美子に聞いて見た。

「以前、牧村さんの部屋で見かけたあの写真の彼氏の応援は行かなくていいの?どこの高校かまでは分からなかったけど、同じ地区大会に出ているんじゃ……」

 貴美子がクスクスと笑っている。

「そうよ。だから、その写真の彼氏の応援に行きたいの」

 亮介は、貴美子の言った言葉の意味が分からなかった。

「あの写真の人、実は中谷くんなの。だから、私の部屋で見られた時、恥ずかしくてちょっと慌てちゃった。でも、中谷くんが私を彼女にしてくれないとダメね……」

 亮介は、自分は今、夢を見ているに違いないと思った。美人で頭が良く、心の優しい貴美子が自分に好意を持ってくれている。にわかには信じられない。

「どうして……。僕なんか……」

「中谷くんは私を救ってくれた恩人だし、野球をしているときの中谷くんは私のヒーローだもの」

「えっ、僕が牧村さんの恩人? 僕は何も……」

 亮介にはそんな心当たりはなかった。しかし、貴美子は、今自分がこうして充実した高校生活を送ることができているのは、あの時、亮介が学校へ来るよう背中を押してくれたおかげだし、何よりも写真で見た亮介の野球に打ち込む真剣な眼差しは今でも貴美子の心に強く焼き付いている。

「私、中谷くんのことが好き……」

 貴美子はそう言って恥ずかしそうにうつむいた。

 夕陽を浴びて長く伸びた二つの影は、ほんの僅かの間だけ一つに重なり合っていた。(つづく

 

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